あなたが「裁判員」になったら・・・

検察官の求刑を超える判決の量刑


裁判員裁判って、誰もがなるかもしれない「義務」のひとつになった時代。


法曹界の常識と一般市民の感覚の対立が、報道でよく見るようになりましたよね。


こんな記事を見かけました。

内容は、

大阪府で起きた監禁死事件の裁判員裁判で、検察官の「求刑」を上回る判決が出た。いわゆる「求刑超え」だ。


事件は、男女5人が共謀し、男性2人を約1〜4年監禁し虐待。被害者の1人は衰弱の末、2017年8月に細菌性肺炎で亡くなった。


検察官は、殺人や監禁などの罪に当たるとして、懲役18年を求刑。一方、大津地裁は12月25日、求刑を2年上回る懲役20年を言い渡した。


共同通信によると、裁判長は求刑超えについて、「刑事責任は首謀者の次に重く、求刑の範囲にとどめることはできない」と述べたという。




ー引用終わり

ということらしい。
この求刑越えに関する論点も載っている。




刑事司法での「市民感覚」と「公平性」

裁判員裁判が導入されてから、
報道でよく・・・
「検察官の求刑を超える判決が出た」とか
「**高裁は、**地裁の裁判員裁判の判決を破棄して地裁判決を下回る量刑を言い渡した」とか
耳にしませんか?


ちょっと事情を解説するような専門性の高い記事だと、
よく「裁判員裁判の趣旨」「判例の積み重ねてきた量刑相場による公平性」の兼ね合いを弁護士さんが主張していますね。


「市民感覚」を刑事司法に吹き込むことと、
感情に左右されない「公平性」を追求した判例に基づく量刑相場。
どちらが優先されるのでしょうか?


もし、よろしければ、
あなたの考えを聞かせてください。
下記のリンクで・・・
【「市民感覚」が大事だ】【「公平性」が大事だ】
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ぜひ、聞かせてください。